藪本 敦弘
藪本 敦弘

サラリーマンからMBAを取得し
病児保育分野に進出したパパ起業家

2011年、病児保育事業を行う目的で設立された株式会社マザープラネット。2012年から流山市、柏市にて『オハナ☆キッズケア』を運営し、初年度はわずか24人の会員が毎年ほぼ倍の伸びで事業が成長し、今では200人弱の会員が利用するまで事業が拡大。現在は市川市、浦安市ほかつくば市、越谷市といった県外からの利用者も増えている。また、保育園に特化した経営コンサルティング事業、育児情報誌の制作なども行っている。

<プロフィール>藪本 敦弘

1977年、福岡県出身。大学卒業後、株式会社ワンビシアーカイブズに入社。在職中にグロービス経営大学院へ入学しMBA取得を目指す。10年の勤務において法人営業・システム開発・新規事業立ち上げを経験後、事業立ち上げを視野に入れ株式会社ぐるなびに転職。ベンチャー企業における事業管理を経験し、在職中の2011年に内閣府からの助成金を得て株式会社マザープラネットを設立。2013年には「流山市 子ども・子育て会議」事業計画策定部会長に就任。ふたりの娘の父。

 

Q1 起業のきっかけは?

 大学院に通い始めた2008年頃から漠然と起業を考えるようになり、ぐるなびに転職したのも「ベンチャーの雰囲気を味わってみたい」という純粋な思いからでした。ぐるなび在職中に大学院の仲間とダメ元でビジネスプランコンテストに企画を提出してみたら、助成金をもらえることになってしまい。良いタイミングと思ったので起業を決意しました。
最初は流山、柏、松戸エリアに特化した子育て情報サイト事業を会社の軸に据えるつもりだったんです。子育てに関する情報が網羅されてすぐに調べられるポータルサイト的な。でも、そのサイトを作るために地域の育児支援団体やママさんたちと話をするうちに、病児保育で困っている方々が多いのが分かり、すぐさま方向転換を図りました。それが2012年1月で、4月1日には「オハナ☆キッズケア」の開設にこぎつけたんです。

Q2 起業して一番苦労したことは?

 一番苦労しているのは人材です。病児保育はいつ仕事が発生するか予測がつきづらいうえに、常時動けるスタッフを抱えておく必要があります。病児保育というものに対する思いを持っている方々に入社していただくのは苦労している部分です。最近はおかげさまで会員数・利用者数も増えてきて、サービス拡充・拠点拡大を支えるための人材確保で苦慮しています。

Q3 経営者と雇用される側の違いや魅力は?

 経営者の魅力は、仕事上のストレスがないこと。私はサラリーマンを10年以上やりましたが、会社の中にいると組織論理が働いたときにモヤモヤが溜まるものです。上層部や他部署からのプレッシャーもあったりと。起業しても、日々の細かな悩みはありますが、自分で決め、仕事を進め、責任を取るって案外ストレスには感じません。むしろ魅力ですね。

Q4 挑戦しつづけられる理由は?

 今8歳の長女が1歳頃に大阪の枚方市という街に住んでいたのですが、娘が体調を崩しやすく、本当に病児保育にお世話になっていました。だから病児保育施設のありがたみは人一倍知っているつもりです。それに誤解を恐れずいうと、こうした子どもの病気って特にお母さんのキャリア形成にとって超えなければならない障壁のひとつになっているのも実体験として分かっています。この地域で困っているご両親の助けになってあげたい思いが強いというのが理由です。

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説明会は必ず私が担当し、病児保育というものに対する当社の考え方をシッカリお伝えしています

Q5 御社の事業の魅力は?

 社会的に非常に大きな意味を持つインフラを作っていると感じられる事です。一方で、私たちはこの地域に貢献し、感謝していただき、それを「お金」という対価でいただく事で会社を存続させています。そういう意味で、私たちは地域とともに生きるというスタンスが必要と考えます。うちの社是に「地得地還(ちとくちかん)」という言葉があります。地域に貢献する事でいただいたものを自社で使い切ってしまうのではなく、できるだけ地域に還元していくという意味です。ですので市民団体のみなさんへの協力や、地域イベントへの積極的な参加も大事や役割だと考えています。

Q6現在の事業ノウハウの基盤はどこで培いましたか?

 起業する際は、保育園を運営している方をビジネスパートナーに迎え、事業のスキームを構築しました。あとは病児保育をやっている方に話を聞いたり、小児科の看護師さんに話を聞いたりしましたね。投薬時の注意点や検温の仕方、感染症の防ぎ方とか。全国病児保育協議会からマニュアルを取り寄せ、自社のマニュアルを作りました。今でも日々起きた問題点とその改善点などをアップデートしています。
補助金に頼らない病児保育サービスですから、利用者の所得によってある程度は想定利用者を絞らざるを得なかったところが残念です。事業継続のために仕方のない判断ではあったものの、より多くの方に利用していただきたいので今後もチャレンジすべき部分です。

Q7 地域とのつながり、意義は?

 先ほどお話した地域イベントや市民団体の皆さんへの積極的な協力が私なりに考える地域貢献です。自分自身もそうでしたが、サラリーマンって地元に対する帰属意識があまりないですよね。起業した今は、この地域が好きで仕方ありません。だから住みよい街になってほしいという思いがあります。
個人的な気持ちを言えば、私の娘たちにも街を好きになってほしいんです。自分たちが育った街を、彼女たちも子育てに使ってもらいたい。それくらい地元を好きになってくれればと。

Q8 千葉県で起業する魅力は?

地価・人件費といった事業開始時に収益を圧迫する固定費が都内に比べて抑えられるのは魅力ではないでしょうか。それと、千葉は人と人とのつながりが濃密というか、ネットワークがすぐに作りやすいと思います。うまくやれば存在感を出しやすいので、事業を拡大していく際にはメリットかなと思います。

Q9 これから起業を考えている方にメッセージをお願いします。

 起業をして2~3年くらいは自分に給料を払うのも相当難しいので、個人貯蓄でも親類からの援助でも、生活費の算段だけはしっかりと付けてからの起業おすすめします。あと、体感していることとして起業してから3年が勝負です。3年でキャッシュフローをプラスにできない事業は、一部特殊な事業を除いてその先何年やってもジリ貧だと思います。そのためには、起業前に3年後・5年後・10年後の会社像を具体的にイメージし、行動計画への落とし込み・見直しを繰り返していくしかないです。

好きな漢字は?

地域の「地」であり、人間の根幹を表す「地(じ)」でもあります。地域に貢献しながら自分自身の成長の場でもある流山でこれからも生きていきます。

影響を受けた本、おすすめの本は?

1.『経営学』/小倉昌男 著
ヤマト運輸「クロネコヤマトの宅急便」の生みの親です。感銘を受けた言葉として「サービスが先、利益は後」がありますが、「利用者は何を本質的に必要としているか」という考えがブレそうなときに読み返しています。
2.『会社は毎日つぶれている』/西村英俊 著
3.『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』/松下幸之助 著

千葉で注目している起業家、経営者は?

「NPO法人ライズアップ」の代表理事、山中有紀さん。任意団体からNPO法人へ転換され、現在は東葛エリアの中で最大規模の学童運営団体に成長されています。NPOでありながら“団体継続”に必要な収支管理という経営視点を持っている方です。

オンとオフの切り分け方は?

あまりオン・オフを意識した事はないです。経営者の身として、常に頭のどこかで会社の事を考えてしまっているというか…妻にはたまに叱られますが。

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小野 薫
小野 薫

地元の生産者とひとつになって
房総の美味しい食を発信していく

山海の恵みにあふれる房総を拠点に、地元の野菜や水産品、加工品などをプロモーションする目的で設立された「FUSABUSA」。地場産の食材と味付けにこだわり、房総エリアに古くから伝わる食文化を発信している。南房総の契約養鶏場から取り寄せた新鮮な鶏卵を使った「たまちちぷりん」のネット販売も行うなど、房総食材のブランディングを精力的に行っている。

<プロフィール>小野 薫

1968年、鴨川市出身。都内の大学を卒業後、アパレル企業に入社。その後は食のコンサルティング会社に転職し、レストラン企業の宣伝を担当していた。外食ブーム全盛期であった1999年、食のPR会社を立ち上げる。フレンチ、和食、居酒屋、パティスリーなどの新規店舗や新規メニューのメディア展開企画、コーディネート、コンサルタント業務を2011年まで行う。2011年からは株式会社ふさぶさにて房総食材のPR兼飲食店を運営している。

 

Q1 起業のきっかけは?

 東京で食のPR会社を経営していたとき、〝地方の食を元気にしよう〟というテーマのイベントに携わっていました。日本各地の農業、水産、加工品がプロモーションに力を入れている様子を見ていて、私の生まれ育った房総のいいものを紹介したいと思ったのがきっかけです。房総の食材をネットで発信しようとこちらの生産者さんとお会いするうち、活動拠点を鴨川に移さないと、成し得ないと思い、夫の協力も得て決心しました。それが2010年の夏で、PR業務の整理をしながらこちらの準備も進め、2011年3月に株式会社ふさぶさを設立。同年7月に実店舗「里海食堂 FUSABUSA」をオープンさせました。

Q2 起業して一番苦労したことは?

 開業から慢性的な人不足ですね。私としては長期的に…ただ長くやってもらうのではなく、房総のいいものを発信していくという志を共有しながら働いてくれるスタッフを求めています。ここは食堂でもありながら、本来の目的は房総の食材の美味しさ、素晴らしさをプロモーションする場所です。その思いを共有してもらえるようなスタッフを集める情報発信に必要性を感じています。

Q3 経営者と雇用される側の違いや魅力は?

 経営者には自分の夢を形にするっていう醍醐味があると思います。夢を形にしながら、地域や社会に関わり、必要な存在になれるよう成長していくことが経営者の使命だと思っています。従業員は経済的に保障されたなかで伸び伸びと仕事ができる、またそういった環境を与えるのが経営者の使命だと思っています。

Q4 挑戦しつづけられる理由は?

 未だ成し得ていない夢があるからです。4年前に起業した時に描いていたプランも、全て実現しているわけではありません。また、4年の間に得た気づきから、新たな夢もできました。夢を一つ一つ叶えていくことで、また新たな目標が生まれる。その積み重ねだと思います。  また、苦しい時、迷った時に支えてくれるスタッフや家族、周囲の方たちの期待や信頼に責任を持って応え続けたい。小さな事業でも関わりあう方が一人でも二人でもいれば、もう自分だけのものではありません。途中で投げ出さず、常に前を向き続けていきたいと思います。

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ご近所の太田和牧場の奥様は、公私ともに良き理解者。太田和牧場で生産さている、生乳やチーズはFUSABUSAのメニューとしても登場し、地元の魅力発信の相乗効果がうまれている。

Q5 御社の事業の魅力は?

 地域の人たち、生産者さんと一緒に「食」を通じて地元の素晴らしさを発信できること、に尽きるかと思います。  例えば、セグロイワシも、伝統的な郷土料理に留まらず、自家製のアンチョビを作って新たな価値を吹き込んだり、また、それを自分たちで作り、販売するだけではなく、お客様と一緒に作るワークショップを開催することで、地元の食材と実際に触れ、生産者さんの話を聞き、料理を作る。ただ、料理を作ってお召し上がりいただく食堂としてだけでなく、ワークショップや、イベント、新たな加工品やスイーツの商品開発等、あらゆる手段で、しかも地元、産地からダイレクトに房総の食の魅力を発信できるのがFUSABUSAの魅力であり、他には無い存在だと思っています。

Q6現在の事業ノウハウの基盤はどこで培いましたか?

 食のPRや料理に対するセンス・感性は前職で培ったものです。

Q7 地域とのつながり、意義は?

 地域の生産者さんと近い立ち位置でつながる事でしょうか。最初は東京を拠点にして房総の情報を発信すればいいと考えていましたが、生産者さんたちの状況を知るほどに、地理環境や経済的なリスクも請け負い、共有する覚悟を持ってやらないと、〝想い〟は表面的な活動になってしまいます。なので上辺だけの地域貢献ではなく、ここの人たちと会話を重ねながらアイデアを生み出していくのが生命線だと思っています。今うちにチーズやミルクを入れてくださっている「太田和牧場」さんもそうです。地域との関わりがうちのブランドを作り上げてくれています。

Q8 千葉県で起業する魅力は?

東京のような巨大マーケットが近いのはメリットでしょうね。もっと地方では、その商圏だけに限られますが、アクアラインを使えば千葉市に行くより都内に出るほうが早いですからね。東京でのビジネス展開も視野に入れやすいから、夢が広げやすいですよね。私もいずれは都内で房総食材のアンテナショップをやろうと計画しています。

Q9 これから起業を考えている方にメッセージをお願いします。

 常にワクワクしながら、小さな夢を形にする喜びや醍醐味を味わってほしいです。小さな夢を積み重ねて大きく成長してください。現実的な話をしてしまうと、起業するにはかなりの覚悟が必要です。人、お金、地域との関係とか、自分の至らなさをまざまざと見せつけられる事が多いのも経営者だと思います。継続して人やお金、情報をやりくりしていける覚悟があって、もっと言えば良き仲間を持つことが大切です。同じ志を持った仲間がいれば、どんな困難もきっと乗り越えられますから。

好きな漢字は?

世の中すべての物の根幹にあるもの。“素”を大切にすることは、衣・食・住はもちろん人間関係、経済・環境問題すべてに通じることと考えています。

影響を受けた本、おすすめの本は?

1.『もの食う人びと』/辺見庸 著
2.『土を喰う日々』/水上勉 著
ニ書とも、「食べる」ことの本質=生きることを教えてくれる質実な本です。スタイリッシュでモダンな食の向こう側にも、このような食に対する揺らぎ無い価値観が軸となっていることが大事だと思います。
3.『手仕事の日本』/柳宗悦 著
4.『星の王子様』/サン=デグジュペリ 著

千葉で注目している起業家、経営者は?

「いすみ鉄道株式会社」鳥塚亮氏です。注目しているというよりも、尊敬しています。過疎地のローカル線に、オンリーワンの価値を見出し、創造性を持って新たな取り組みを次々とチャレンジしていく姿勢。地域に誇りを取り戻し、元気と魅力を創造する素晴らしい社長様だと思います。経営の根本に愛を感じます。

オンとオフの切り分け方は?

自宅に帰っても夫とは仕事の事ばかり話していますし、オンとオフの切り替えが苦手なタイプかもしれません。友人からは「仕事の事考えすぎ!」って怒られるくらいです。うちで飼っている犬と遊ぶときが唯一オフになる瞬間かもしれませんね。

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原 基弘
原 基弘

創業から18期連続成長!
僕が経営者へと成長できた理由

1996年に創業した『原塗装』を2002年に法人化。時代の流れとともに、新築塗装からリフォーム(塗り替え)へと方向転換を図り、原代表自身が20年以上に渡り積み上げてきた経験やノウハウをベースに、住宅の外壁塗装、屋根工事、防水工事から住宅リフォームまで行う有限会社リペイント。千葉市を中心に佐倉、市原、八街そして都内東葛エリアまでをカバーし、現場での対応力と質の高い仕事が認められ設立から常に右肩上がりの成長を遂げている。

<プロフィール>原 基弘

1967年、千葉市出身。地元の中学を卒業したのち調理師専門学校と定時制高校に通う。1年後から某レストランに入り、調理人としての下積み生活が始まる。19歳で思うところがあり退職。その後、20歳のときに友人の誘いで『長谷川塗装店』に入社し、塗装職人のキャリアがスタートする。9年の修業を終え、1996年に『原塗装』を起業してからは現場主義を貫くとともに抜群の経営センスにより、順調に業績を伸ばし続けている。

 

Q1 起業のきっかけは?

中学の終わり頃から人並みにやんちゃしていまして、一度は料理の道に進みますが3年で辞め、地元の友人の紹介でペンキ屋職人になったのが20歳のときです。〝腐ったみかん〟は切り捨てられる時代。毎日スーツを着て会社へ行く父と兄に対し、僕は理由なく反発心を持っていました。職人になってしばらくすると日当18500円をあてがわれ、月の休みは3~4日でそこそこ稼ぐようになっていました。今思えば、学がなくても会社員より稼げるという優越感だけが支えだった気がします。
28歳のある日、何気なく兄の給料を聞くと私の稼ぎを抜かれていました。しかも兄にはボーナスや退職金もある安定した人生が保障されています。独立を決意したのはこのときですね。1996年1月に29歳で『原塗装』を立ち上げました。まだ業界内にはバブル期の余韻があり「日銭くらい稼げるだろう…」そんな軽い気持ちで。

Q2 起業して一番苦労したことは?

 この業界は、塗料を先に現金で仕入れ職人にも現金で取っ払うのが慣例です。しかし自分が元請けさんから支払われるのは翌月末。仕事をまわす現金が最初から足りなかったので、僕も日雇いで現場に入り、その日の手当てで職人に支払う生活が続きました。
起業した年の10月頃から若い職人を雇ったこともあり、運転資金が余計ギリギリの状態で年末に財布の中にあるのは1000円札が1枚でした。そんな時その職人が大晦日にうちに遊びに来たんです。ストーブも焚けない寒い部屋でインスタントコーヒーで年越しですよ。年末だというのに小遣いをやる事も、メシも食わす事もできない…本当に情けなくって。
年明けからいろんな人たちに声をかけて、待ちの営業スタイルからの脱出を図りました。すると仕事がどんどん舞い込むようになり、さばき切れない状態でしたが基本すべて受けました。あの頃は2時間睡眠とかザラでしたね。

Q3 経営者と雇用される側の違いや魅力は?

 経営者は楽しくてしょうがないですね。自分でやった結果がすべて出るのですから。私が段取りをしくじれば全体が失敗に終わる。その責任を自分自身で取れるのがまたいいですよ。今まで何べんも土下座しました。元請けさんの顔に泥を塗るわけにはいきませんからね。土下座と笑顔はタダでできると思っています。

Q4 挑戦しつづけられる理由は?

 従業員たちを食わしていくっていう気持ちがあるから。それと、新しい世界が見たいという欲求ですね。5億、10億と売上を伸ばしたとき、それは単に金を稼ぐのが目的じゃなくて、10億の企業になったとき、どんな事に挑戦できるかなってワクワク感があるからです。

社員と現場の打ち合わせ確認をする原氏
社員と現場の打ち合わせ確認をする原氏。プロとして施主さまは勿論、元請けさんからの信頼も厚い

Q5 御社の事業の魅力は?

 古くからの技術でモノ作りをして、また技術を継承していくのが魅力です。あるとき、僕が現場を離れるようになり、施主さまからクレームをいただく事が増えた時期がありました。理由は職人たちが仏頂面ばっかりで、あいさつをしないというものでした。僕たちは職人である以前に営業マンなんですよね。仕上がりはもちろんですけど、現場で人当たりの良い対応ができるかが肝で。だから僕が職人の前で接客の心得を見せました。とにかく笑顔で会話をするようにと。そうしたら見事にクレームがなくなりました。 あと、仕事したあとに「キレイになったね、ありがとう」って言ってもらえるのがまた魅力ですよね。

Q6現在の事業ノウハウの基盤はどこで培いましたか?

 職人としてのスキルや勘は、すべて現場で覚えました。会社を成長させていくには他の業界も見ないといけないと考え、6~7年前からは現場を離れ異業種交流の場に顔を出しています。最初は大変でしたよ、人と話をするのがすごく苦手で…ろくに漢字も書けないし言葉も知らないし。だけど、経営者としてどう生きるべきかを知りたくてしょうがなかった。あと従業員たちに言葉で教育する必要性を感じていたし、この業界のイメージを変えるためにもあれだけ抵抗のあったスーツに袖を通したわけです。自分のプライドなんかどうでもいい、会社を成長させるためには。

Q7 地域とのつながり、意義は?

 うちのポリシーは「塗装で千葉を元気にしたい」です。地域のお客さまに良質なサービスを提供し、喜んでいただくのがまず大きな目的です。あとは地元に税金を納める事ですね。だから本社をほかの土地に移そうなんて考えた事ありません。千葉で起業する方たちを支援するNPO活動もやっています。

Q8 千葉県で起業する魅力は?

この業種で考えるとガソリン代が安くて交通の便もかなりいいですからね、県内はもちろん都内にもアクセスしやすく、起業すれば関東近郊が営業エリアにできるのが魅力です。あと家賃も安いのがいい。経費を比較的安く抑えられますよ。

Q9 これから起業を考えている方にメッセージをお願いします。

 起業するには素直な気持ちが必要だと思います。聞く耳を持つと人ってすごく成長できますからね。うちも今まで4人の職人が独立していきましたが、僕がいつもアドバイスするのは〝TTP〟だけ、「徹底的にパクれ」です(笑)。業種は違っても、成功した人の言動には成功の素がいっぱい詰まっています。だからお手本にしたい経営者を見つけて、パクッていくのが成功への最短ルートだと教えます。独立、起業するって楽しいですよ。辛い事もあるけど、でも楽しい!いろんな経営者と会えて、話すたびに自分を磨けますから。

好きな漢字は?

経営の先輩方と話すにしても、自分がどうなりたいか何を目標にしているか芯がないとブレてしまいます。芯があればいろんな人を受け入れられます。

影響を受けた本、おすすめの本は?

『ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』/高野誠鮮 著
考えることは誰でもできる。そして考えたことを実行した人が前に進める。発想力、企画力もさることながら、その行動力に感銘しました。

千葉で注目している起業家、経営者は?

「株式会社ストラクス」代表取締役の山本さん。僕と同じ千葉市を拠点にしていて、しかも同業ですから前から気になる存在です。山本さんは物腰が柔らかくてとにかく人に優しい。あんな穏やかな性格の方がどうやって年商18億をたたき出したのか、極意を知りたいですね。

オンとオフの切り分け方は?

仕事は家に持ち込まないようにしています。書類1枚でさえも。家族の顔を見たらオフになりますから。休みの日は気分転換も兼ねて家族と「ららぽーと」とか、ちょっと地元を離れた場所へでかけます。

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松田 貴盛
松田 貴盛

独自に考案したリオン式教育メソッドにより
難関大学合格への近道を提供しつづける

2010年12月、大学受験英語に特化した進学塾としてオープン。塾長の松田氏が自ら考案した“英文法から徹底的に指導する”教育メソッドにより、多くの生徒たちを早稲田、慶応義塾はじめ数々の難関校に合格させてきた。その実績と個性的な授業、さらに松田氏のカリスマ性が注目され、開校当時10名だった生徒数は期を追うごとに増え、5期目の今年は100人の生徒を抱えるまでに。現在は社会人向けTOEICコースなども行っている。

<プロフィール>松田 貴盛

千葉県出身。小学校から高校卒業まで市原市で過ごす。高校卒業後は映画監督を目指しアメリカに単身留学。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を卒業し、2年ほど地元テレビ局のカメラマンとして勤務する傍ら、グレイシー柔術道場に通う。アメリカで役者も経験。帰国後は大手進学塾に英語指導講師として勤務。8年間のアメリカ留学で培った英語力を武器に、わずか3ヶ月でトップ講師に登りつめる。2010年12月より「進学塾リオン」を経営するとともに、“朝日奈こうや”の芸名で俳優業も続けている。テレビ朝日「検事・朝日奈耀子」シリーズに5年間出演中。

 

Q1 起業のきっかけは?

 アメリカから帰国して6年ほど大手進学塾にお世話になっていて、30歳を目前に独立しようと決めました。先に起業していた俳優仲間に気持ちを後押ししてもらったのも大きいですね。「よしやるぞ!」と決めてから、3ヶ月ほどで開校場所や資金など諸々の話をまとめ、2010年12月に起業しました。

Q2 起業して一番苦労したことは?

 それはもう生徒がなかなか集まらないことです。前職の塾から転籍してくれた生徒たちがいましたが、3月の受験を終えれば皆卒業していきますからね。チラシを打っても電話が1本もこないとか。そこで、在校生の兄弟姉妹や部活の仲間を紹介してもらって1期生をなんとか集めました。
あとは開校翌月に起きた東日本大震災ですね。当日は臨時休校の措置を取り、生徒の家を1軒ずつまわって生徒の無事を確認し、休校を伝えました。先行きの不安もありましたが、「何とかしよう」という気持ちの方が強かったですね。何らかの要因で授業ができないこともあると想定はしていましたし、言い訳するなんて僕の辞書にはないので。2日後には塾を再開しました。

Q3 経営者と雇用される側の違いや魅力は?

 雇われの身ですと失敗しないことが大原則ですが、経営者って立場は失敗から学ぶことが多いですから、失敗が失敗ではありません。アメリカにいたときも失敗や挫折の連続でしたが、気持ちが折れたことはありませんでした。そう考えると、僕が起業するのは必然だったのでしょうね。

Q4 挑戦しつづけられる理由は?

 〝人生は挑戦〟と思っていますから、起業したときからずっと挑戦です。18歳で単身アメリカに乗り込んでいって、独学で英語をマスターしました。肌の色や言葉など多様なアイデンティティが混在するアメリカでは、人々の価値観もバラバラ。そういう環境で生活したことで、相手の考えを尊重し認め合う事に気づいたんですよね。それと同時に、日本の素晴らしさも知り、日本人であることに誇りを持つようになりました。起業するときに「英語を教えながら人に影響を与えられる事を」というテーマがあったので、僕が生徒たちに伝えたいのは日本の素晴らしい文化だったり風土だったり…英語はひとつの手段でしかありません。

授業風景
生徒たちと対等な目線で接する松田氏。勉強や進路はもちろん、ときには卒業生の人生相談にも乗る

Q5 御社の事業の魅力は?

 僕の考えが生徒たちやスタッフに浸透し、どんどん新しい事に挑戦する心が備わっていくと彼らの表情が変わります。そんなとき僕はやりがいを感じます。日本人として胸を張って世界に挑んでほしいですよね。リオンから巣立って行った人たちがこれからの社会を支えていく。地域に貢献できる人材を育てているという実感もあります。また、教え子が講師として戻ってきてくれるのも嬉しいですね。既に1期生から4期生がリオンで指導をはじめています。元教え子と師弟関係を築いていけるって幸せな事です。

Q6現在の事業ノウハウの基盤はどこで培いましたか?

 前職で英語講師を始めてから自分で指導方法や方針などを構築しました。この100%松田式がそのまま当校の教育メソッドです。特徴といえば、半年かけて文法をみっちり指導する事。実はこれ、アメリカ留学時代にグレイシー柔術の道場で僕が習ったメソッドです。腕や足など身体のパーツごとに、みっちり1週間かけて関節の決め方や逃げ方を覚え、実践で即座に対応できる技術を習得していきます。英語も同じ。くどいくらいに文法を反復勉強し基礎を固めてから長文読解など実践に移ります。ちょっと気の遠くなる反復訓練こそが、実は英語上達の最短コースです。海外に住んでいた経験があるから直感的な指導法では?と思われがちですが、僕は非常にロジカルに教えます。今まで1000人以上の生徒にこの方法で指導してきましたが、大なり小なり必ず英語の成績が伸びます。

Q7 地域とのつながり、意義は?

 ここ4年ほど我孫子に密着した経営をしてきて、人のつながりが非常に強いと感じます。長年そこに住んでいるかのような歓迎のされ方で。我孫子は特に人のネットワークが強いというか、今うちに在籍している生徒の99%は口コミで入学した子ばかりです。
それに、ここを卒業した後も留学やTOEIC受験のことで相談される事が多いですし、実際にTOEIC対策コースも始めました。当校はグアム大学と提携しているので、いずれはこの地域で留学したいと思っている方たちに、海外留学の窓口になれたらと考えています。

Q8 千葉県で起業する魅力は?

教育ビジネスに限って言えば、学校の数が多いので、ある程度の集客が見込めます。いずれは都内進出も考えているので、千葉から大都会である東京を見据えるというのが個人的には気に入っています。僕の好きなザ・ビートルズのメンバーもリバプールから世界に羽ばたきましたし、矢沢永吉だって横浜からスターダムにのし上がったわけですから。いい感じに自然も残っていて、僕自信ハングリーでいられる場所です。

Q9 これから起業を考えている方にメッセージをお願いします。

 僕がグレイシー柔術から学んだ哲学があります。強くなるとは〝勝つ〟ではなく〝負けない〟です。これは護身術の鉄則でもあります。自分のやりたい事業が決まったら、世間に負けず、自分にも負けず、信念を貫き通すのみだと思います。「この道をいけばどうなるものか危ぶむなかれ」です。
失敗を恐れたらその時点で負けです。失敗こそ強くなれるチャンスと思い、挑戦し続けてください。

好きな漢字は?

『論語』に書かれている「思いやりの心」です。人生で何を極めればよいかと弟子にたずねられた孔子は「恕(じょ)」と答えました。生徒やスタッフたちとは、常に恕の精神を持って接しています。

影響を受けた本、おすすめの本は?

1.『タルムード』
ロスの寿司屋でアルバイトしていたとき、オーナーに勧められたユダヤ人の哲学書です。彼らはとても勤勉で、自分磨きを怠りません。 2.『孫子の兵法』
“勝つ”ではなく“負けない”を克明に記した書物です。初めて読んだのは高校時代。起業すると決めたときに読んでみたら、経営者の戦い方が書かれていると気づきました。
3.『経営の教科書』/新将命著

千葉で注目している起業家、経営者は?

「株式会社ワン」の伊藤晃一代表です。彼自信、パーソナルトレーナーとして全国を飛び回っていて、加圧トレーニング、ピラティス、ヨガ、食事といったあらゆる面から健康にアプローチし、前向きになれる術を教えてくれます。

オンとオフの切り分け方は?

フィットネスジムや道場での毎日のトレーニングです。今までボクシング、ムエタイ、柔術などをやってきて、多くを学んできました。心技体を磨くと心も身体も健全になりますし、リフレッシュできます。

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福原 裕一
福原 裕一

創業16年で国内・海外に27店舗
人の成長に重きを置く外食産業の雄

1999年の焼き鳥居酒屋「くふ楽」を皮切りに、「福みみ」「元屋」「博多屋」など飲食事業を中心に展開。創業1年目から積極的に店舗を拡大し、2004年以降はカナダに「ざっ串」を出店し、その後インド、インドネシアでの出店も成功させている。このほか、2005年には学習塾「ITTO」のFC展開も開始し、教育事業にも力を入れる。現在は国内外に飲食店27店舗、学習塾2校を内包するグループ企業として成長を続けている。

<プロフィール>福原 裕一

1965年、横浜市出身。千葉県内の高校を卒業後、3年ほど花王株式会社にて工場ラインオペレーターを経験。日本マクドナルド株式会社では店舗管理に従事。25歳で友人と貿易会社を立ち上げるが失敗。その後、損害保険代理店に勤務し、31歳で焼き鳥居酒屋の店長に。友人の経営する焼き鳥居酒屋を業務委託で運営したのちに1999年、1号店となる「くふ楽 本八幡店」を創業。独自の人材育成メソッドをまとめた「『心の大富豪』になれば夢は叶う」など著書多数。

 

Q1 起業のきっかけは?

高校生のときにバイトしていたラーメン屋での体験が大きいですね。皿洗いや野菜切りから始まり、そのうち厨房を任されるようになって、お客さんから「美味しかったよ」と言われたのが嬉しくて。うちは両親が離婚していたので、早く母に楽をさせてあげたいって思いがあったんですよね。ある日、卒業したらラーメン屋になると母に告白しました。そしたら母は「ちゃんと就職しなさい」って。そういう保守的な時代だったのかも知れません。高校の就職課に求人が出ていた花王に入りました。母の言葉は理解しまたが、飲食への憧れもあり…通勤中にいろんな本を読みまくり、とくに日本マクドナルド創業者・藤田田さんの『頭の悪いやつは損をする』に書かれていた商売の極意は強烈でした。この本との出合いがきっかけで、いつかは経営者になろうと決心しました。

Q2 起業して一番苦労したことは?

 25歳で一度事業に失敗しているので、『くふ楽』創業後の苦労は感じた事ないですね。ただ今でも忘れられないのが、2001年に渋谷店を出店しようとしたときです。前もってキャピタルさんから「うちを使って」と打診があり、さっそく口座開設して融資を受けようとした段階で急に話がご破算になって。従業員からは「そんなに焦って出店しなくても」と言われましたが、創業時に決めた〝従業員の成長の場を作る〟を断念するのがすごく辛くて。私の中では渋谷店を任せたい人物も決めていましたし。で、あるとき東京タワーに行きましてね、眼下に目をやると人もビルも小さくて。それを眺めていたら自分の悩みがちっぽけな事に気づいて、どうにかして渋谷店を出店させる方法を見つけよう! という考えになりました。

Q3 経営者と雇用される側の違いや魅力は?

経営者の魅力は、自分の判断でいろんな挑戦ができる事です。経営者と雇用される側、どちらが良いかはその人の生き方次第ですよね、どちらが魅力的に見えるかですから。私はたまたま経営者を選んだだけです。

Q4 挑戦しつづけられる理由は?

 理由はふたつあります。ひとつは人の生きる意味を考えると「成長」が肝心だと思うからです。自分の成長のために挑戦を続けます。もうひとつは従業員の人生に関わっていくから。私の挑戦が彼らの挑戦や成長にも繋がっていると思うからです。

決算役員会にて
5年で10店舗を目標に。インドの合弁会社Kuuraku Indiaの決算役員会にて

Q5 御社の事業の魅力は?

 飲食業の醍醐味は、大勢の仲間とのチームプレーでお客様に「美味しい!」と喜んでいただく事。それに飲食店には、社員もアルバイトも関係なく従業員ひとりひとりが成長できる材料が詰まっています。店舗運営についてひと通りの事を学んだら店長になりますし、うちを辞めたあとどこに行っても活躍できる力が得られます。そうやって人を育成していけるのが魅力ですね。実際に4人の元店長が弊社の「暖簾分け制度」を使って独立しましたし、それ以外にも元アルバイトで起業している人もいます。うちから卒業した起業家は30人くらいますよ。

Q6現在の事業ノウハウの基盤はどこで培いましたか?

飲食店経営のノウハウはマクドナルド時代と、1軒目の焼き鳥居酒屋です。マックでは店のマネジメントも学んでいましたから、焼き鳥屋に入ったときは接客と商品、それからスタッフのやる気を出す施策をたくさん打ち、結果として売上アップを果たしました。この成功体験がのちの起業に大きく役立っています。

Q7 地域とのつながり、意義は?

 弊社の存在意義のひとつは地域社会への貢献。私たちの存在で地域を明るくし、新たな雇用を創出し、また納税するのが目的です。ふたつ目は人材の育成。地域の若い人に夢をもって働いてもらいたいですし、多くの事業家を育てたいと思っています。
2005年にスタートした学習塾事業は私の子どもがきっかけです。自分の子が安心して暮らせる社会にするにはまず教育であると気づきました。当時たまたま手にした「7つの習慣」という本は人として何を大切に生きていくかがテーマで、私が従業員たちに伝えたい事がずばり書かれていたのです。それで、当時この書籍を教材に使っている学習塾があったので、FC加盟しました。

Q8 千葉県で起業する魅力は?

千葉県や千葉市には起業家を支援する雰囲気があります。私自身も2003年にベンチャーサポート制度を利用してこのビルに入居しました。最近は海外出張も多いので、成田が近いのもメリットですね。じつは25歳のとき、このビル(ワールドビジネスガーデン マリブウエスト)に保険営業で来たことがありましてね。あっさり断られた帰り道にビルを振り返り「いつか経営者になってこんなビルに入りたいな」って考えていました。だから起業してこのビルを紹介されたとき「あの時のビルだ!」と、ひとり興奮したのを覚えています。

Q9 これから起業を考えている方にメッセージをお願いします。

 海外では、いまだに道端で物乞いする子どもや学校に行けない子どもがいます。彼らと話をする機会があったので「今一番したいことは?」と聞くと、「働きたい」「お腹いっぱいごはんが食べたい」という答えでした。世界中にはこのような人々がまだたくさんいるのが現実です。ちゃんと教育を受けられてごはんも食べられる日本に生まれたのだから、挑戦しないのはもったいないと思います。起業は自分を成長させられる素晴らしいチャンスです。諦めずに挑戦してほしいです!

好きな漢字は?

人が生きる目的は「成長」で、成長を導いてくれるのは「挑戦」です。失敗は、次の挑戦をしたときに教訓として活かせる大切な教材だと考えます。

影響を受けた本、おすすめの本は?

『ZOZOTOWN』を運営している「株式会社スタートトゥデイ」代表取締役の前澤友作さん。一度食事をした事があり、非常に感性の豊かな方だと感じました。あとはソフトバンクの孫正義さん。この方も藤田田さんの本に影響を受けたとか。世界をどのように見ているのかが気になります。

千葉で注目している起業家、経営者は?

「トーネツ株式会社」の半田実社長です。業務内容は空調関係。同業者を巻き込みネットワーク、サービス拡大、24時間対応の仕組みを提供。これらに取り組む姿勢、情熱、行動力が素晴らしい!

オンとオフの切り分け方は?

起業した当時は、街を歩いていても看板が気になり、家族で食事していても子どもがどう感じるかなとか、オン・オフの区別がありませんでした。今は書道、パステルアートなどで感性を磨き、ゴルフ場では自然の豊かさを感じてリフレッシュします。

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