芳源マッシュルーム株式会社 代表取締役 菅佐原 芳夫 Model04芳源マッシュルーム株式会社 代表取締役 菅佐原 芳夫 Model04

商品の魅力をアピール
すれば勝機あり
国内シェア40%を誇る
無農薬マッシュルーム

香取市をはじめ、茨城県などにプラントを持ち、全国でも有数の規模を誇る芳源マッシュルーム株式会社。その原点は1967年に始まった缶詰メーカーの下請け生産だ。無農薬栽培にこだわり、良質で風味のよい同社のマッシュルームは様々なメディアでも取り上げられるほどの評価を得ている。アジア圏での需要創出と普及を狙い、2016年夏からはベトナムプラントを稼働させた。

【プロフィール】菅佐原 芳夫(すがさわら よしお)

1954年、香取市出身。商業高校卒業後、館山の農村中堅青年養成所(現農業大学校)にて農業を一から学び、実家の農業を継いだ。缶詰用マッシュルームの栽培に力を入れていたが、ある時から独自の販売ルートへ転換。馬厩肥と呼ばれる原材料の確保にも成功し、自社での培地の生成から栽培、加工までを一括管理するプラントを建設。アジア進出を果たした現在はベトナムと日本を行き来する、忙しい日々を送っている。

Q1 起業のきっかけは?

商業高校に進学していたので、卒業してから農村中堅青年養成所に通いました。1年のカリキュラムは前半6ヶ月が座学、後半は旭市のマッシュルーム農家に住み込みで実地研修と実習です。実家は稲作農家でしたが、私が中学1年の頃から缶詰用のマッシュルームを生産していました。あの時代は藁で種菌を繁殖させた生産が主流で、稲作農家が裏作として取り入れていた事が多く、最盛期の1973年頃には200軒ほどのマッシュルーム農家がありました。ところがコンバインやトラクターといった農業用機械の導入が始まると、私の家のような小さな田んぼしか持っていない農家は採算が合わないという理由で稲作を捨て、マッシュルーム一本に転換しました。その後マッシュルームメーカー傘下になっていた1987年に、両親から事業承継して芳源ファーム有限会社を設立したのです。

Q2 起業して一番苦労したことは?

時代の流れとともに外国産マッシュルームがもてはやされ、新たな販売ルートとして近隣の市場へも卸しはじめていました。会社を設立した直後、缶詰メーカーで問題が発生し、私はメーカー傘下を抜ける決断をします。傘下を抜けるという事はメーカーから提供されていた種菌も市場へのルートもストップします。当時すでにプラントが12棟あり、従業員も10人。あちこち種菌を探すも入手できず運転資金は底を尽き…。ただ私には「良いものを作っていれば、必ず誰かが買ってくれる」という信念があり、廃業は考えませんでした。そうしてなんとか同業者から種菌を融通してもらい、マッシュルーム栽培を復活させる事ができました。

image

Q3 経営者と雇用される側の
違いや魅力は?

会社の行く末を夢見ながら舵取りをするのが経営者です。25歳の時、マッシュルーム栽培の先進国であるオランダで、P3(培地)を人工的に作るプラント40~50棟を見学しました。「いつかは俺もP3(培地)プラントを持つ!」という夢が叶ったのは、2010年に株式会社香取マッシュルームという関連会社を作った時でした。

Q4 挑戦しつづけられる理由は?

欧米では、年間の1人当たりのマッシュルーム消費量が3~5kgです。それに対して日本では年間60gほど。たったの3粒です。マッシュルームには旨味成分が多く含まれているためどんな料理にも合い、さらには肌や胃腸に良いとされるパントテン酸の含有量が高い事が最近の研究で分かりました。こんなに魅力ある食材を自分たちの手で広めたいという思いが私を突き動かしています。
経営者という立場で考えれば、マッシュルームをもっと多くの方々にアピールする必要があります。缶詰工場の傘下を抜けて不遇な時代を過ごし、自社栽培を再開したあとに株式会社ワキュウトレーディングと出合ったのも大きな転換期でした。農家は生産に関してはプロですが、販売に関しては素人です。ワキュウさんとの仕事を通じて、これからの農家は販売戦略を意識しないと生き残れないと教わりました。

Q5 御社の事業の魅力は?

無農薬栽培にこだわり続け、国内シェア4割ほどに成長できました。両親がマッシュルーム栽培を始めたきっかけは1964年の東京五輪です。選手村のレストランで使うにも日本では手に入りづらかった。そんな時代のニーズに後押しされる形で、我が家のマッシュルーム生産の歴史がスタートしました。奇しくも2020年に再び東京五輪が開催されます。かつて最盛期には国内の年間生産量は3万トン。それが現在は約7000トンあまり。2020年をひとつの目標に掲げ、全盛期の3万トンにしたいという夢があります。

Q6 現在の事業ノウハウの基盤は
どこで培いましたか?

養成所時代に実地研修でお世話になった田宮さんという農家です。その方の口癖は「P1(培地)がちゃんと作れなければ一人前のマッシュルーム職人にはなれない」でした。あの半年で、私はマッシュルーム栽培に欠かせないP1(培地)作りをしっかり叩き込まれました。田宮さんとの出会いは私の財産です。

Q7 地域とのつながり、意義は?

香取市内の学校給食やスーパー、道の駅に卸すなど、地元とは密接に繋がっています。従業員がほとんど千葉の人間である事も地域との繋がりと言えるでしょう。本社所在地をはじめ、パッキングセンター、プラントなど香取市に密着している会社です。地域貢献の意味も込めて、地域の祭りなどへの後援も行っています。

Q8 千葉県で起業する魅力は?

千葉の県民性は大らかでのんびりしています。ですから一緒に気兼ねなく仕事できるというのが魅力だと思います。東京という大消費地が隣にある事も魅力です。夕方注文が入ったとしても、1時間半もあれば都内に届けられるというメリットがありますから。

Q9 これから起業を考えている方に
メッセージをお願いします。

起業すると本当にいろいろな壁に出くわします。「当って砕けるでも仕方ないか」くらいの気構えで目の前の壁を飛び越えてみてください。リスクにばかり気を取られて踏みとどまるのは得策ではありません。また経営者は素早い決断とスピーディな動きを常に求められます。そして一度決断を下したら、たとえそれが失敗したとしてもくよくよしてはいけません。

111

好きな漢字は?

「菌」
両親がマッシュルーム作りを始めた時期を入れると、約50年にわたりお世話になってきました。これからもずっと必要な物です。

影響を受けた本、おすすめの本は?

「用心棒日月抄」/藤沢周平著
藤沢周平さんの時代小説は全て読んでいます。江戸の庶民たちの間に流れる日本人特有の品格や考え方が、とても心地よいですね。

オンとオフの切り分け方は?

自宅の近隣で仕事をしていますから、オン・オフの切り換えは難しいですね。高校の頃に吹奏楽をやっていたので、今でもクラシックはよく聴いています。主に車の中でCDを聴く事が多いですが、ヨーロッパに行った時は時間があればコンサートに行きます。

千葉で注目している起業家、経営者は?

農事組合法人和郷園の木内博一さん。販売に重きを置いた農業というのが見事で、私の理想とする農業経営者です。株式会社アビーの大和田哲男さんは、食材の鮮度や旨味を失わない特殊な冷凍技術を開発していて、とても気になっています。